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悲しい目をしたマユゲ犬2.0

音楽制作・読書・ゲーム・時々マジック


オリジナル・アレンジ楽曲をpixiv BOOTHで販売中。

西尾維新「不気味で素朴な囲われた世界」

発売日に買っておきながら今頃読了。ネタバレは書きません。
不気味で素朴な囲われた世界 (講談社ノベルス)ISBN:4061825577
西尾維新が作るキャラクタというのは奇抜なものばかりですが、無言なのに饒舌(しかもそれを超具体的に読み取るのは主人公)というわけわからんキャラが来るとは思いませんでした。きっと病院坂迷路は顔芸キャラに違いない。
トリックに関しては随分と分かりやすくヒントが散りばめられていたので、すぐに見破れました。でも本質はそこではないのは既読した人なら解っているでしょう。この作品に対してはなんというか、犯行動機等は非常に感情的でありながら非人間的な行動が矛盾しつつ伴っているので、読後もどうも腑に落ちないというかなんというか、視点が少し定まらないというか。もっとも、西尾作品の全般に対して割と当てはまることなのでこの疑問が今更始まったわけではないのですが、それに関してちょっと自己分析・考察というか、読後もしばらく頭を抱えていました。脳内会議絶賛審議中。でも一晩寝て放っておくと間違いなく忘れるダメな脳内コビトさんたちなので、あとで自己整理するつもりでとりあえず一旦ここに書き殴っときます。メモ程度なので論理的推敲はなし。


まず登場人物が自らの立場について非常に自覚的。小説の作中人物でありながら串中弔士と病院坂迷路はミステリー小説の構造を引き合いに出して所謂ミステリーのお約束を論じ、自ら演じる。また、登場人物がキャラクタとしても自覚的であるから、配置された役割を忠実に「演じ」、人の死に対してもおよそ感情とは無縁とさえ思える極端(場面により短絡的とも換言できそう)な行動理念から実行される。だから読者としては死ぬ・殺すということに重みを感じられず、読者は小説という劇場の観客の立場としか見えない。しかし本文の視点は基本的に串中弔士の一人称視点でありながら読者視点では第三者の観客、尚且つ小説内容としては自覚的に演じる役者視点という二重構造になっている。要するに、「この小説という劇場の中身が劇場」というメタな構造だから、読者としてどこか視点のすわりが悪いというか、理不尽な叙述トリックをくらったような精神的不安定さを感じる。……私だけ?


んー、断片的だけど具体的な言葉にして頭で整理がされてきたような、余計解らなくなったような。
うん、よし、寝ます!!レッツ忘却!!(ダメな子)