悲しい目をしたマユゲ犬2.0

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金田一蓮十郎「マーメイドライン」

読了。
マーメイドライン (IDコミックス 百合姫コミックス)ISBN:9784758070256
多くはコミック百合姫に掲載された短編集。百合というある種の幻想(とここでは敢えて言い切りたい)を題材に、女性ならではの感覚から友情と恋愛の狭間である心理の機微を描き出した作品でした。氏の作品は基本的にギャグマンガが主な舞台ですが、ここでは割とシリアスになってますので、ギャグを期待するととんでもないカウンターをくらいます。ついでに百合独特の耽美な世界を期待しても強烈なクロスカウンターをくらいます。
一概に女性同士の百合(?)だけが題材ではなく、性別は男で心が女、しかしその女の精神をベースに女性が好き(つまりレズビアンの一種)という一瞬「え、んあ…?なんですと??」と理解に悩む性同一性障害など、カップルとしてはヘテロだけど精神的百合とでも言うのか、割とデリケートなものも扱っていたり。百合という定義は女同士の友達以上恋愛未満なのか以上なのか、その辺私自身もうまく理解できていないので複雑ですが、どちらにせよ同性同士のただならぬ関係という観点では共通していると認識でき、つまり周囲の一般的価値観から見ればその関係は異様に映るわけです。百合が美しく肯定として許されるのは物語という幻想の中だけであるからして、逆に言えばリアルでそれを持ち込んだら差別と偏見に晒されるのは至極当然。百合を扱いながらも幻想的美しさを、この作者は許していません。とことんリアルに描写されます。それ故に女性の百合という独特な心理をあるがままに描き出し、否定も肯定もしない極めて現実的な関係性が浮き彫りになっている、やや異色とも言える内容で、女性でなければ百合という関係性そのものの描写も理解も、百合の本質への焦点は完全には合わないのだろうと勝手に想像しました。
つまり幻想として求める物語としての百合、すなわち無菌的で清浄な世界を築くためには精神的理解と肉体的関係における外界からの隔離と断絶が伴うのは必須であり、そこにヘテロ的価値観は持ち込んではいけないからこそ耽美な百合として成り立つのかと、ひとりで納得・自己完結。もっといえば性という生々しいものが断絶された百合という空間に持ち込まれることにより、耽美は忽ち退廃へと変容するのか。そう考えると百合というのは性を穢れたものとして考えるどこかのストイックな宗教のよう(性的関係も百合と定義すると話は別)。と、湯船につかり立ち上っては消える湯気を眺めながら思考の海へダイビングしてました。テーマはアレですけど。
……ああ、この作品を読んでいるときの百合に対する違和感がこうやって文字にすることでなんとなく理解できてきたような気がします。超簡潔にまとめると、百合を耽美主義に描くか現実主義に描くかの相違かー。この作品は後者だからこその心理模様になるのですか。成程。