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悲しい目をしたマユゲ犬2.0

音楽制作・読書・ゲーム・時々マジック


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STGの主人公は何故少数で敵に立ち向かうのか

昨日の記事で、式神の城IIIをプレイしていてふと思った疑問をちょろっと書きましたが、改めてムダに考えてみるテスト。そこで、まずおことわり。私は昔からSTGを数多くプレイしているわけではない新参ヌルゲーマーなので、プレイしたことのあるゲーム数も高が知れています。よってテキトーなこと抜かしますのでご了承。
さて、タイトルの疑問ですが、何故でしょう。古くはインベーダーも1対多数でした。STGにストーリーや設定が持ち込まれたのはゼビウスあたりが代表的らしいですが、確かにその後のSTGは(設定として)ストーリーが書かれるようになってきたような気がします。STGといえば昔は戦闘機が多かったのですが、私がプレイしたことのある戦闘機STGの多くは、ストーリー上では「少数精鋭の特殊部隊」、あるいは「来たるべき大戦に向けて極秘裏に開発されていた高性能戦闘機」などといった口上で、味方の機体は1機ないし2機であることをストーリーを通して「STGは1機(2機)で敵と戦う」というゲームシステムと融和させていた事例がわかっています。
近年になって人が空を飛ぶようになってきましたが、それに伴ってストーリーがより主人公個人に関わるものに変化してきています。かつては戦争に伴う戦闘機の出撃、というある種の必然性があったのに対し、人が主人公のSTGは彼らが特殊能力を持っているが故の「巻き込まれ型」が増えました。勿論そうでないのもありますが、ここで重要なのは議題である「何故少数なのか」の理由も変化してきたことです。その最たる理由の例は、「特殊能力を持っているのは主人公のみであるから、戦闘に関わるのは必然的に彼あるいは彼女だけでなければならない」ということ。戦闘機STGは自機を選ぶゲームがありますが、あれでは少数で戦わねばならない理由が幾分希薄になります。そこに敵殲滅という同一の目的を持つ複数の戦隊が存在していることになるからです。戦闘機モノでの敵は国家、ひいては惑星などという総体が殲滅対象であることが多いのに対し、人が主人公の場合敵が主人公個人のみを対象とすることが多いです。敵対対象の変遷ですね。しかし何にせよ、少数で敵に立ち向かう理由は、人が主人公になってもストーリーによって今でも一応支えられています。
さて、色々と例外の式神の城。主人公たちは事件解決のために敵へ向かいますが、彼らの目的はてんでバラバラ。事件解決のため能動的に動く者もいれば、とりあえず自分の目的に邪魔だから蹴散らして、事件解決は結果論、といったパターンもあります。共通するのは「とりあえずぶっとばす」という意志のみ。彼らは同時期に能動的に動いているはずなのにプレイ上は何故か1人ないし2人。途中で別の誰かと出会っていてもおかしくありません。ここで突っ込みたい一言。


お前らもっと大人数で協力しろよ!!(笑)


式神シリーズは、1人や2人だけで動かねばならない必然性がストーリーを読む限り全く無いのです。「プレイヤーは1機(1人)ないし2機(2人)である」というSTGの古くからの原則が形骸化した瞬間だと、私は思っています。これも時代の流れでしょうか。
念のため。屁理屈みたいなことを散々抜かしましたが、だからといって別にどうということはありません。私としてはゲームとして面白ければそれでいいと思います。要するにオチはありません。アッハー。